とらわれる心。

こんにちは
わたしは 野球をあんまりみません
家族がみているときに 話のネタ程度には・・・です
それでも 今回 自殺された 渡米していた選手のことは知っています
それくらい 実績があったんですよね
42歳でしたか。
まだお若いのに!
世間に見せていた性格と 本当は違った・・・と
ニュースで見ましたが・・・
前回 どーでもいい話 のなかで
ちらっと うちの母のことを書きましたが
母は 医者ではありません
けれど 栄養のこと 生きること いろんなことを
母というより 人として たくさん教えてくれました
わたしも この仕事をしているとき以外は・・・
してる時もですが
フツーの人間です
そしていろんな患者さんたちと出会い
そういう意味では「人」と 暮らしていく仕事です
フツーかどうかの基準は よくわかりませんし
それは今日の話題から それるので 省略しますが
そのフツーの毎日に
いろんな出来事があって
驚いたり笑ったりしながら暮らしてます
患者さんの いろんな体験談も聞きます
 なにか、 誰かのこと、 気になって仕方がない
 いやでいやでしかたがない
 なんでなんで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と ブツブツ 考えていると
昔母が よく言っていました
「とらわれる 心 」 と。
ひとは 何かにとらわれてしまうと
身動きができなくなる。
わかいうちは それが あきらめられないだろうけど
とらわれてる時は こう思え・・・
   「人生は 答えは 二つ」
と 常々言ってました
今も言ってます
人と人がいれば
こっちがいやだと思っても
あいては 何にも きにしてない  こともあれば
こっちもいやなら 相手もこっちのことが嫌
こっちがいいなと思っても
相手が自分を気にいらない
人間関係で
つねに 答えは一つであるとは限らない  と。
   (お互い相思相愛なら もちろんいいですねえ~)
家族でも夫婦でも
愛の形も違うでしょう。
一心同体はありえず 二心二体なんですよ  
確かにそう思うと
許せることもありませんか?
それは対人関係だけでなく
仕事 友人 決めごと
どんなことでも みんな意見は違います
そのなかで 規律があって 指導権を握る人がいて
折り合って生きて行くのが人生。
なーーんて これ全部受け売りですが
とらわれてる時は
なーんにも人の意見何か耳に入らないもの。
悪い方向へと 転がっていくときもあります
なにもかも いいやいいや・なあなあ の人生でも困りますが
 そうか  答えは二つあってもいいのかも・・・と思います
 絶対こうしなければならない  って
 (几帳面な昔ながらの日本人に多いですが)
がむしゃらな 患者さんが とても多いので。。。
とらわれすぎないでほしいなぁ・・・と思います
いろんなことに。
追加
もうひとつ よく母や叔父が言う言葉です
「人生に  タラ と レバーはない」。
昔は
タラ と  レバー??? 何 言ってんだと思いましたが
あのとき ~~~だったら

こうしていれば~~~
反省はしてもいいが
いつまでも くよくよしても やっちゃったことは戻らない
ということですね。
ではまた。